ゲームの話。

日記

ひとまずは更新する習慣をつけなくっちゃね。ということでどうにか書いています。
これまで長めの記事を書いてしまったので今回は短めに。そうじゃないと細々と更新する習慣がつかない気がするので。

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twitterのタイムラインでクソゲーオブザイヤーについて流れてきて、ふと思い出してKOTYの総評を読み返してみてました。
2ch常駐班ではないのでよく知らないのだけれど、あの味のある文章って毎年誰が書いてるの……同じひと?

で、それを読んでいてなんだかとても心打たれてしまって、不覚にも涙してしまった文章があったのでここで紹介します。
2013年の総評の、最後から2段目の部分です。

2013年はひとつの記念すべき年であった。
2ちゃんねるの片隅では人知れずKOTYが10周年を迎え、
一方で、ゲーム業界全体では、次世代機であるWii U・PS4・Xbox Oneの三国志が幕開けした。

ゲームのあり方そのものが激しくうつろうこの時勢に、変わることのないゲームの本質とは一体何だろう。

そんなことを考えるとき、クソゲーの存在は一つのヒントになるかもしれない。
その昔、ゲームの表現力は稚拙だった。
ひらがなだらけのテキストに、絵の具で塗りつぶしたような画面。
美しいパッケージに惹かれ、似ても似つかない画面上のキャラクターに落胆した記憶は誰にでもあるだろう。
だが、そんな中でもプレイヤーは、懸命に楽しんでいた。
足りない分を想像力で補い、自分なりに遊び方を作り上げ、ゲームの限界を超克していたのだ。
そして、ゲームがじゅうぶんな表現力を得た今でも、その本質は変わらないはずだ。
クソゲーハンターは現代でも、クソゲーを徹底的にプレイし、何が何でも楽しもうとしているのだから。
プレイヤーが頑張れば、ゲームはきっと輝ける。
これからも、つまらないゲーム、不出来なゲーム、失望させるゲームが世に出ることはままあるだろう。
そんなゲームに対しても、評判や醜聞だけをあげつらうことなく、
いつまでも、真摯に向き合える我々でありたい。

実は最近、PSPのゲームアーカイブでFF9をやっています。
なんだか最近Android版がリリースされたとか?らしいですが全くそれとは関係なく。
今Disc3のデザートエンプレス攻略中です。もう既にこのゲームも15周くらいしてて、毎回同じような遊び方をしているので周回数の割にエクスカリバー2とかは一回も取ったことなかったりするんですけれど、なんか定期的にやりたくなっちゃうんですよね。
まあFF9の話は一旦おいといて、そんな感じなんでうちにある最新のゲーム機ってPSPなんですよね。しかも2000。PSP goですらない。
もうしばらく最新のゲームからは離れてしまっていて、亡霊のように第3次スパロボαとかを今更やったりするような、そんなゲームライフを送っています。
あ、でも今度発売するポケモン赤・緑のバーチャルコンソール版は3DSと併せて買いたいと思ってますよ。また古いゲームですけれど。

そんな私ですけれど、生まれた時には既に家にファミリーコンピュータがあり、おそらく生まれて初めてプレイしたゲームはファミコン版スーパーマリオブラザーズではないか、というくらいに昔からゲームは好きな方だったりします。
で、確かに昔のゲームって「表現力」という意味では非常に稚拙だったなと、今になっては思いますけれども、当時は割と「それが当然」という感覚だったように思います。
例えばスーファミのゲームを今やってみると、結構びっくりすると思うんですよね。結構前の話ですけれど、4年前くらいにFF7をプレイしたら愕然としました。
当時はあんなに「スゲー!」ってなってたグラフィックも今となっては「えっなにこれカクカクじゃん!」って思ってしまったんです。それだけ時代は進歩してるわけですよね。
逆にいうと、どこかで脳内補完をかけたいたのだと思います。そう書くとまるで悪いものみたいですが、それだけそのゲームの提供している以上の情報を受け取っていたということなんだろうなと。

   ※

プレイヤーが頑張れば、ゲームはきっと輝ける」っていうフレーズにズンときました。
これ、別にゲームに限った話じゃないと思うんです。しかし、「お金を払っている=お客様である」という意識がどうしても邪魔をしてしまうように思います。
ぼくはソシャゲの類は一切やらないんですけれど、「詫び石」っていう観念は外から見れば完全なお客様要求であるな、と。その本質って「ゲーム」なんですかね?
「全てを受け入れる」ということではなく、自分が対価を支払ったものに対して、どれだけの価値を見出すことができるのかという話なのではないかと。
それでもなお、問題のあるゲームがKOTYに選出されているわけですが……

ユーザーの努力次第でそのコンテンツの価値が見いだせる、ということはゲームに限らす、特に趣味全般に言えることではないでしょうか。
ビジネスだとそれでは少し困ることも有りますが、あくまでも趣味ということであれば、ユーザーにこそ委ねられる部分は大きいと思いますし、二次創作はその一つの結晶と言えなくもないような。
そういう意味でも、「コンテンツを使い捨てにする」というのはとても勿体無いなあと思うんですよね。1クールで嫁が変わるとか。この言い方ももう古いか?

冒頭で短めにって言ったのにこの体たらく。そして何が言いたいのかイマイチよくわからない……徐々に慣れていきまっす。

日記

Posted by kwkmcm